師匠・天音タロウ「全体で見ろ」付き人の頃の思い出と受け継ぐ意思。

※A市タウン情報誌 OpenEye 2022年7月号より


2022/5/25

天音タロウ唯一の弟子が遊伍さん 森久保中太郎撮影

A市のカリスマタレントである天音タロウさんが引退してから20余年。その人気は未だ衰えるところを知らない。そんな天音さんの弟子の一人が遊伍さんだ。初めての対面で感じたオーラ。舞台裏で見守ってくれた突然の前説デビュー。そして、どんな時も励ましてくれた優しさ。A市の大スターの知られざる素顔について聞きました。

――卒業後、天音タロウさんの劇団に入られていますよね。

「僕らが学生の頃、『笑いの祭典』(ABS系)が大ブームで、学校でもみんながそのネタを真似して大笑いしていました。お笑いタレントになりたいという気持ちは自然と芽生えていましたが、実は『刑事アブナイ!』(Jテレ系)のケンジ(峰雷太さんが演じる役)に憧れて、一時は刑事になりたいとも思っていました。
そんな中、卒業間近に天音タロウさんの劇団オーディションの広告を雑誌で見かけて、何かしら進路を決めるために挑戦してみたんです。結果、無事に合格しました。劇団では演技だけでなく、コント、音楽、殺陣、パントマイムと、本当に多彩な授業がありました。」

――どんな経緯で天音タロウさんの付き人になったんですか?

「ある日、師匠(天音タロウさん)が飲み会で『劇団の中で一番面白いやつだったら付き人にしてやる』と冗談半分に言ったんです。劇団には20人ほどのメンバーがいたのですが、奇跡的に師匠が自分を付き人に選んでくれたんですよね。後から聞いたところ、『一番いい眼をしてたから。あと純粋そうだから、悪い意味で。』という理由だったそうです(笑)。後から知ったんですが、師匠は昔から凄い目が悪くて人の顔、ましてや眼なんて分からないレベルなんですよ。こうして、付き人生活が始まりました。

――付き人時代、印象的だった天音さんの言葉は?

「師匠がよく言っていたのは『全体で見ておけ』という言葉です。現場で天音さんから2個先の仕事を尋ねられると、私はスケジュール帳を読み上げることがありました。すると『何でお前は次しか憶えてないの?』と叱られました。全体を把握する大切さを教えられたんです。
罵声や暴力の記憶はないんですが、師匠は低く小さな声で言うので、それが逆に怖かったです。『何度言えば分かるんだ?全体を見ておけ』と呟くように言われて、その後には普通に『今日何食べた?』と話を戻してきたりするんです。師匠のその緩急が日常に戻る感じで、本当に後を引かない方でした。

森久保中太郎撮影

――どんな経緯で人前に出る足掛かりをつかんだんですか?

「最初は『今日もタロウとご一緒に・ラッキーな人集まれ特集』の公開収録の前説です。付き人になって半年ぐらい経った頃、ある日突然ADさんが楽屋に駆け込んできて、『いつも来る前説が病気で来れなくなったんですが、伊藤くん(本名)を借りていいですか?』と言われました。天音さんが『ディレクター、伊藤優希でいいんすか?』と振ったんです。
そのまま頭が真っ白の状態で大きな舞台に到着し、前説をすることに。師匠はその様子をずっと見ていたらしく、後々知って嬉しかったですね。楽屋に戻ってご挨拶したら、天音さんが『来週も伊藤でいいすか?』と、その後もやらせてもらえることになったんですよね。」

――人前に出るようになり、チームワークを意識した仕事についてもアドバイスがあったと。

「裏方の重要性についても教わりました。師匠からは『芸を考えるのは当たり前だけど、近い仕事を色々見てこい』と言われて、美術セットを見たり、手紙の仕分けや着物の帯の結び方、メイクの仕方、照明や撮影の方法まで、本当に様々な仕事を見て回りました。
例えば、路上インタビューの現場でADさんたちがどうやって欲しい絵と回答を得るか作戦を練っているのを見て、それが衝撃的でした。それ以来、仕事の進め方や現場全体を見る力が養われていきました。師匠が伝えたかったのは、タレントは芸を考えるだけでなく、自分を活かしてくれる現場の仕事も知っておくべきだということだと思います。」

――現場のみなさんの中に早く溶け込ませよう、という意図も?

あったかもしれないですね。番組で出てくる試食品が残ってると天音さんが「これ食べとけ全部。撤収前に食えよ」と言われました。1分ぐらいで一気に食べたこともあります。その様子を見て、スタッフさんが爆笑しながら撮影してて本番で使われたことがあります。
今だとコンプラ的なことがあるかもしれないけど、凄くありがたいイジりでした。現場の中で勉強させてもらいました。

テレビ番組の収録ためのスタジオで、スタッフを呼び、進行上の注意を伝える天音タロウ=1991年5月

――天音さんの引退と共に「今日もタロウとご一緒に」を引き継ぐことになりましたが、どのような気持ちですか?

「師匠から引退を聞いた時は本当に驚きました。勝手に一生現役でいるものだと思っていたので。泣いてしまったぐらいです。その時に冠番組を引き継ぐ話が出て、悩みました。でも、1週間ほど悩んだ末に引き受けさせていただきました。
師匠が自分を選んでくれたことに対する感謝の気持ちと、師匠の口癖だった『幸あれかし』という言葉を胸に、精一杯やってみようと思います。」


取材を終えて

師匠と弟子という関係は、令和の時代では少し古く感じるかもしれません。しかし、そこには言葉にできない何かが確かに存在します。遊伍さんは、天音さんから多くを学びながら、自身の持ち味を育ててきたことがよく分かりました。
これからの活動で、彼がどのように師匠の教えを活かしていくのか。遊伍さんの今後の活躍が楽しみです。

森久保中太郎撮影

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