盱世の光 – 団体の歴史と運の教義

内部資料:アーカイブ


2000/1/15

  1. 創立の背景
    盱世(くぜ)の光は、明治43年(1910年)、開祖である法眼(ほうがん)によって創立された宗教団体である。法眼は、トラホーム病により視力を失った日に、突然、強烈な光と共に神の啓示を受けるようになったとされている。この神からの啓示は、彼が神の代行者としての役割を担うことを告げるものであり、それ以来、法眼は信徒を導く存在として団体を指導する立場となった。
    当初の活動は、神託によりA市に限られ、団体は外部から隔絶された形で運営されていた。教義や儀礼は、師資相承の形式により密かに継承され、限られた信徒の間でのみ伝えられている。盱世の光の核心的な教えは、神の御力によって人々の苦しみを解き放ち、法眼が提唱する「運の社会的平等」を実現することであった。

  2. 教義の特徴:運の社会的平等
    法眼の教えにおける中心的な理念は「運の社会的平等」である。人間社会は、個々の才能や努力に加え、「運」という不確実で計り知れない要素によって大きく左右されるものであり、運は人々の間で不均等であるとされる。運は、生誕の時や場所、偶然の出来事など、意図しない要因に基づき、その不均衡は社会の不平等を助長する一因となる。
    法眼は、この不平等を是正するために、恵まれた者から運を徴収し、乏しい者に運を分配するという教えを説いた。これにより、公正な社会を実現し、全ての人々が平等な機会を享受できるようにすることを目指した。この理念の実現には、運の測定と再分配を行う技術的な方法が必要であり、団体はこの神術を用いて運の収集と分配を行っていた。

  3. 運の収集と儀礼
    盱世の光は、団体の儀式を通じて「無灯者」と呼ばれる信仰を持たない者から秘密裏に運を徴収していた。主に心身の健康、受精や受胎など生命に関連する幸運を徴収し、これを奉納することで運に乏しい者に施しを行っていた。これにより、運を持たざる者に健康や子宝が与えられ、団体の神聖な役割が遂行されていた。

  4. 近代の団体の動向
    1986年、団体は新たな運の収集方法を模索し、調査および実験を開始した。しかし、1990年代初頭に発生した日本における経済崩壊により、運の絶対量が減少し、団体の活動は一時的に停滞を余儀なくされた。さらに、1993年から1995年にかけて、日本国内で発生した一連のカルト団体事件により、宗教団体に対する政府の監視や規制が強化された。この状況の中、盱世の光も影響を受け、運の収集活動において困難に直面することとなった。
    1994年末には、運の減少が深刻化し、貯蔵する運が枯渇する危機に陥った。これにより、団体は方針転換を余儀なくされ、1996年以降、無灯者からも信者を募集するようになる。

  5. 初代法眼の死と継承
    1995年、初代法眼が帰幽(死去)し、二代目法眼が継承した。彼の指導の下、団体は従来の運の収集活動を継続しつつ、新たな信徒獲得の方策を模索している。新たな信者層の開拓や、外部の経済状況に適応するための運の徴収手段が検討され、団体は次なる発展の段階を迎えつつある。

  6. 盱世の光の使命
    盱世の光の教義は、神の代行者である法眼を中心に展開され、「運の社会的平等」を実現することを目的とする。運の不均衡を是正することで、公正な社会を築き、信徒のみならず社会全体の調和と幸福を追求することが団体の使命である。現在の厳しい環境においても、団体はその使命を果たすべく、新たな道を模索し続けている。
    盱世の光は神の御加護の下、未来へ向けてその光を放ち続けるであろう。

(LV7)

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